2018年12月31日月曜日

新起の章 一私小説書きの日乗 西村賢太

 10月26日(水)の候で。深更『芝公園六角堂跡』のゲラチェック後、手製のカレーライス。以前は”ジャワカレーの辛口”、いまは”バーモントカレーの辛口”に変更。「家のカレーがもっぱらこれだったが、やはり美味。もう五十歳になるのに、ラクに二皿いける」とある。
 その作家の作品を読み続ける原動力は作品の嗜好だけではなく、その作家の食い物の好みにも通底するものがあってこそ成立するのだと改めてしる。
 前作「不屈の章」が発刊されたのが去年の五月、それ以前のものもほぼ毎年この時期に刊行されていたと記憶しているが、今回の「新起の章」は、スケジュール的にはほぼ半年遅れ。連載が「野性時代」(角川書店)から「本の雑誌」(本の雑誌社)に乗り代わってのことと愛読者にも推察されるが、著者が前作のなかでも一行触れていたように、「野性時代」の編輯長からの連載打ち切り通告が発端であったようだ。今年が発刊されるのかヤキモキしながらアマゾンを眺めていたが、新刊予約に「新起の章」が掲出されたときは、恥ずかしながらやや小躍り、小さくガッツポーズ。
 で、冒頭の「バーモントカレーの辛口」の件り。この作品を楽しみ続けている理由の一つに、自分の食生活に通じる「B級」、「C級」感があるんじゃないのかとあらためて感じた次第。
 自分は新刊本で書籍を買うことは滅多にないのであるが、この作家のこの作品については、予約のボタンが表示された段階で、躊躇うことなくクリックしてしまう唯一といっていい作品。

 ※愚直にして含羞の作家・西村賢太が2016年6月から2018年5月までの二年の日々をつづる平成最後の私日記。『一私小説書きの日乗』『一私小説書きの日乗 憤怒の章』『一私小説書きの日乗 野性の章』『一私小説書きの日乗 遥道の章』『一私小説書きの日乗 不屈の章』に続く第6弾。現代に暮らす“文豪”の日々。(※は版元ドットコムよりコピペ)

2018年1月20日土曜日

小説日本婦道記(抄本)/ 日本婦道記(全)山本周五郎

 ここ何年か、仕事の合間合間を見て山本周五郎を読んでいる。司馬遼太郎、藤沢周平を読み尽くし、次に没頭したい作家をさがした結果が山本周五郎だったのである。前提としては多作である。自分の人生観に合うかどうかは読んでみないと分からない。とにかく多作であることが必要条件なのだ。ただ時代物の作家には大家、若手を含めて多作、駄作を書き散らしている作家はあんがい多い。最初の一冊の数行読み始めただけで諦めてしまった作家も多し、一冊だけ読んでつぎに進まなかった作家も数知れず・・。

 山本周五郎のこの「日本婦道記」の抄本「小説日本婦道記」を手に取ったのは、藤沢周平がどこかに感想を書いていたのがきっかけではなかったか。この掌編小説集の最初の作品『松の花』を読み終えたとき(掌編であるのでゆっくり読んでも小一時間もあれば読み終えることができる)、大げさかも知れないが日本人として魂を揺さぶられるような気分になったのである。武家の女性の生き方を通して、こうあるべきという強靭な倫理観が刷り込まれている。それが押しつけがましく感じないのは、しかもどこか妙に懐かしささえ感じるのは自分の祖母の記憶と重なったからかも知れない。

 抄本「小説日本婦道記」を読んだのは三年ほど前、そしていま「日本婦道記(全)」を読んでいる。半分くらいまで来た。どの一編として愚作はない掌玉集である。ぜひお薦めしたい作品である。


メモ(ウィキペディア等から引用)

・小説日本婦道記(抄本)
『松の花』をはじめ『梅咲きぬ』『尾花川』など11編を収める連作短編集。厳しい武家の定めの中で、夫のため、子のために生き抜いた日本の妻や母の、清々しいまでの強靱さと、凜然たる美しさ、哀しさがあふれる感動的な作品である。

・『日本婦道記』(1942-1946)で直木賞に推されるがこれを辞退、 生涯で一個の賞も受けることはなかった。

『婦人倶楽部』に各藩の女性を扱う「日本婦道記」(6月から12月までの7回掲載)が企画された。周五郎は3回(「松の花」*「梅咲きぬ」*「箭竹」、全くの創作で架空の女性を描いている)担当し、後の4回(すべて実在の人物で世にほどほどに知られている人物)は他の作家が担当した。『主婦之友』の「日本名婦伝」(吉川英治)に倣っている[15]

1943年(昭和18年)40歳
第17回直木賞に『日本婦道記』が選ばれるが辞退[16][17][18]。周五郎の年間執筆数の約6割~7割が講談社の雑誌に掲載され、その大半が『婦人倶楽部』の「日本婦道記」であった。この執筆が作家的飛躍に繫がったと考えられている[19]


2017年11月19日日曜日

チョムスキーが語る戦争のからくり

映画「おやすみを言いたくて」(2014」に描かれる、アフリカへの欧米大資本のアフリカ侵攻、略奪、虐殺。

映画「パトリオット」(2013)に描かれる、アメリカ人人質と拉致したシーア派武装グループの会話。

欧米諸国、大資本はアフリカ、中南米で何をしてきたのか。





2017年7月23日日曜日

一私小説書きの日乗 不屈の章 西村賢太

本書最終項で『野生時代』での三年間の連載を終えて、今後『本の雑誌』に連載場所が移ることが報告されていう。この「日乗シリーズ」の全部を新刊にて覓(もと)めている自分としては、この先も密かな愉しみが継続できそうなところにまずは安堵。


2017年4月2日日曜日

報復回路 デイヴィッド・イグネイシアス

本書の著者は、アマゾンプライムの「ワールド・オブ・ライズ」(同著者の原作)という映画を見てのことだった。著者は、ハーヴァード卒業後、WSJの中東特派員として三年間ベイルートに滞在した際の経験と知識をもとに、アメリカ、ヨーロッパ、中東諸国(イラク、イラン、サウジアラビア)を舞台にしたインテリジェンスものを多く手掛けている。

一気に読ませるストーリーの展開は、マイケル・クライトン(ジュラシックパーク等)やダン・ブラウン(インフェルノ、ダ・ヴィンチ・コード等)などのアメリカの人気作家に共通するものだ。ただ、作品の大前提として(執筆前の企画の段階データ、映画化を前提にしてストーリーが展開するという、ある意味「パターン化」というか「ルーティン化」を強く感じてしまう。否定的に申し上げているのではなく、小説を読んでいる時点で確かな映像が脳裏に浮かぶということ、展開のスピード感など、これらは私にとってはありがたいことだ。しかし小説の終章が近づくにつれ、「このままじゃ終わらんだろう。もう一捻りあるだろう」というアメリカアクション映画ファンとしての予感がものの見事に的中してしまうという、読者を裏切らない「飽き足りなさ」が残るのも確かだ。この辺の贅沢過ぎる(?)欲求はジャック・ヒギンズやケンフォレスト、古くはグレアム・グリーンなどのイギリス作家とは趣が異なるような気がする。

ただ前段で書いた、この作家の中東での経験と知識がいかんなく発揮されている作品であることに間違いはなく、裏表紙の「元CIA長官絶賛の戦慄すべき傑作」と謳っているのも頷けるのだ。


2017年3月29日水曜日

ペリー提督 日本遠征記(上)(下)

本書は、かなり以前から読みたい本として頭のなかにあった。そして先月、満を持して、意を決して購入した。(※「日本の古本屋」を介して、札幌の古本屋さんから送ってもらった。)

中学、高校時代に薄く学んだ「ペリーの来航」について自分自身の早とちりが何点もあったことがわかった。
ーまず本書の編纂についての誤解があった。
・本書は、最終的にアメリカの海軍省に提出された報告書(公文書)であるため、ペリー直筆の私信ではなく、二度の来航艦隊に参加した何人もの日記、記録類もまとめて、F.L.ホークスと言う人がまとめ上げたものであること。

※その意味で、明治維新についてこの種の外国人の視点で書かれたものの中で、私自身が最高峰と位置づける「一外交官の見た明治維新」(アーネスト・サトウ)とは内容的に比べるレベルには達していない、と感じた。本書編纂の目的が公文書として国家に奉納するというところにあったのなら、致し方ないのかも知れないが、後世の歴史好きが読むには一抹の物足らなさが残るのもたしかである。

二点目
・一度目の来航があって、二度目の来航までの数ヶ月間、アメリカに帰って出直したのかと思ったが、じつはマカオに居を構え、当時勃発していた「太平天国の乱」のアメリカ権益保護のために睨みを効かせていたこと。

三点目
・二度目の来航で「日米通商修好条約(神奈川条約)」締結まで漕ぎ着け、来航の主目的を果たしたことで、疲労困憊の極に達し、帰途香港で提督の地位を下りて、副官1名とともに陸路ヨーロッパ経由でアメリカに戻ったこと。

※本書では、インド経由としか記述されていないが、香港からどのような経路を辿ったのか、本書の主旨ではないにしろ、この経路は個人的に関心を捨てきれないでいる。

四点目
・香港から江戸に向かう途上、琉球に都合五度も立ち寄っていること、滞在中の琉球王宮との交渉事が、ある意味江戸の幕府と同程度の詳細さで記述されていること。

※燃料(石炭)、食料、水の補給という理由以外の、当時からの琉球の「地政学的戦略拠点」としての重要性が認識されていたのではないか、と感じた。

五点目
・司馬遼太郎のいくつかの小説のなかに登場する吉田松陰、金子重之助の密航計画について、本書でもかなり詳細に記述されていたこと。日本側から見れば、明治維新の思想的な背景を作った吉田松陰の個人名までは当然のことながら記載されてはいないが、こんな記述に出会った。

この日本人(吉田松陰、金子重之助)の性向を見れば、この興味深い国の前途はなんと可能性を秘めていることか、そして付言すれば、なんと有望であることか!

その数日後、士官の一行が郊外を散策しているとき、たまたま町の牢獄にさしかかり、
あの不幸な日本人が、閂を掛けられた、ひどく狭苦しい一種の檻のなかに、監禁されているのが見えた。.......彼らは自分の不運を偉大な平静さで耐え忍んでいるようで、アメリカ士官の訪問を非常に喜んで、その目を引こうとしているのが明らかに見て取れた。

 
 最初に述べたペリー本人の直筆ではないという、物足りなさは残ったが、やはり日本人として読んでおくべき歴史本であることに違いはない。

ちなみに「駅伝」の嚆矢と思える記述を紹介したい。
ー古代メキシコ人やペルー人と同じように、配達は人の足で行われるが、なかなか迅速である。郵便夫は二人一組になり、なにか事故の起こったときにもう一人が代わりを務められるようになっている。郵便夫は全速力で走り、自分たちの受け持ち区間のはずれまで
来ると、次の郵便夫が待ち構えており、近寄るやいなや郵便物を投げ出し、受け取った者は、走ってきた同僚が足を止める前に走り出すのである。

2017年2月13日月曜日

ノーム・チョムスキー 「メディア・コントロール」-正義なき民主主義と国際社会

 ノーム・チョムスキーは「知の逆転」(NHK出版新書)でその存在を知った言語学の泰斗、「巨魁」である。その業績をウィキペディアから一部引用すると

1992年のA&HCIによると、1980年から1992年にかけてチョムスキーは、存命中の学者としては最も多く、全体でも8番目に多い頻度で引用された。彼は人文社会科学諸分野における「巨魁」と表現され、2005年には投票で「世界最高の論客」 (world's top public intellectual) に選ばれた
チョムスキーは「現代言語学の父」と評され、また分析哲学の第一人者と見なされる。彼は、コンピュータサイエンス数学心理学の分野などにも影響を与えた。

 そして反体制派知識人的な範疇で括られてもいる。むしろこちらの方で世界に名を馳せていると言っても外れてはいないだろう。本書は現代政治で果たしてきたメディアの役割を断罪し、事実をもとに現代社会の政治構造を理解することを、たいへん解りやすく、アイロニカルな論調で(この辺がアメリカ人っぽいところ)記述されている。

 本書を読んでいるかたわらで、折しも安倍トランプ会談が、ワシントンとフロリダで行われているが、トランプが既存メジャー・メディアに信を置かず、もっぱらツイッターを多用しているのも、表面的には大統領選挙戦を通じてのメジャー・メディアへの”意趣返し”と捉えられなくもないが、もっと深読みをすれば、チョムスキーが言わんとしている論点を本能的に理解していた、と言うと褒めすぎか。

 日本の主要メディアにおいても、本書の論点は充分当てはまる。いかに「中立・中正」を標榜しようが、本質的にはチョムスキーが理想とする「公正なジャーナリズム」とは言い難いのではないか。