本書は、かなり以前から読みたい本として頭のなかにあった。そして先月、満を持して、意を決して購入した。(※「日本の古本屋」を介して、札幌の古本屋さんから送ってもらった。)
中学、高校時代に薄く学んだ「ペリーの来航」について自分自身の早とちりが何点もあったことがわかった。
ーまず本書の編纂についての誤解があった。
・本書は、最終的にアメリカの海軍省に提出された報告書(公文書)であるため、ペリー直筆の私信ではなく、二度の来航艦隊に参加した何人もの日記、記録類もまとめて、F.L.ホークスと言う人がまとめ上げたものであること。
※その意味で、明治維新についてこの種の外国人の視点で書かれたものの中で、私自身が最高峰と位置づける「一外交官の見た明治維新」(アーネスト・サトウ)とは内容的に比べるレベルには達していない、と感じた。本書編纂の目的が公文書として国家に奉納するというところにあったのなら、致し方ないのかも知れないが、後世の歴史好きが読むには一抹の物足らなさが残るのもたしかである。
二点目
・一度目の来航があって、二度目の来航までの数ヶ月間、アメリカに帰って出直したのかと思ったが、じつはマカオに居を構え、当時勃発していた「太平天国の乱」のアメリカ権益保護のために睨みを効かせていたこと。
三点目
・二度目の来航で「日米通商修好条約(神奈川条約)」締結まで漕ぎ着け、来航の主目的を果たしたことで、疲労困憊の極に達し、帰途香港で提督の地位を下りて、副官1名とともに陸路ヨーロッパ経由でアメリカに戻ったこと。
※本書では、インド経由としか記述されていないが、香港からどのような経路を辿ったのか、本書の主旨ではないにしろ、この経路は個人的に関心を捨てきれないでいる。
四点目
・香港から江戸に向かう途上、琉球に都合五度も立ち寄っていること、滞在中の琉球王宮との交渉事が、ある意味江戸の幕府と同程度の詳細さで記述されていること。
※燃料(石炭)、食料、水の補給という理由以外の、当時からの琉球の「地政学的戦略拠点」としての重要性が認識されていたのではないか、と感じた。
五点目
・司馬遼太郎のいくつかの小説のなかに登場する吉田松陰、金子重之助の密航計画について、本書でもかなり詳細に記述されていたこと。日本側から見れば、明治維新の思想的な背景を作った吉田松陰の個人名までは当然のことながら記載されてはいないが、こんな記述に出会った。
ーこの日本人(吉田松陰、金子重之助)の性向を見れば、この興味深い国の前途はなんと可能性を秘めていることか、そして付言すれば、なんと有望であることか!
その数日後、士官の一行が郊外を散策しているとき、たまたま町の牢獄にさしかかり、
あの不幸な日本人が、閂を掛けられた、ひどく狭苦しい一種の檻のなかに、監禁されているのが見えた。.......彼らは自分の不運を偉大な平静さで耐え忍んでいるようで、アメリカ士官の訪問を非常に喜んで、その目を引こうとしているのが明らかに見て取れた。
最初に述べたペリー本人の直筆ではないという、物足りなさは残ったが、やはり日本人として読んでおくべき歴史本であることに違いはない。
ちなみに「駅伝」の嚆矢と思える記述を紹介したい。
ー古代メキシコ人やペルー人と同じように、配達は人の足で行われるが、なかなか迅速である。郵便夫は二人一組になり、なにか事故の起こったときにもう一人が代わりを務められるようになっている。郵便夫は全速力で走り、自分たちの受け持ち区間のはずれまで
来ると、次の郵便夫が待ち構えており、近寄るやいなや郵便物を投げ出し、受け取った者は、走ってきた同僚が足を止める前に走り出すのである。
中学、高校時代に薄く学んだ「ペリーの来航」について自分自身の早とちりが何点もあったことがわかった。
ーまず本書の編纂についての誤解があった。
・本書は、最終的にアメリカの海軍省に提出された報告書(公文書)であるため、ペリー直筆の私信ではなく、二度の来航艦隊に参加した何人もの日記、記録類もまとめて、F.L.ホークスと言う人がまとめ上げたものであること。
※その意味で、明治維新についてこの種の外国人の視点で書かれたものの中で、私自身が最高峰と位置づける「一外交官の見た明治維新」(アーネスト・サトウ)とは内容的に比べるレベルには達していない、と感じた。本書編纂の目的が公文書として国家に奉納するというところにあったのなら、致し方ないのかも知れないが、後世の歴史好きが読むには一抹の物足らなさが残るのもたしかである。
二点目
・一度目の来航があって、二度目の来航までの数ヶ月間、アメリカに帰って出直したのかと思ったが、じつはマカオに居を構え、当時勃発していた「太平天国の乱」のアメリカ権益保護のために睨みを効かせていたこと。
三点目
・二度目の来航で「日米通商修好条約(神奈川条約)」締結まで漕ぎ着け、来航の主目的を果たしたことで、疲労困憊の極に達し、帰途香港で提督の地位を下りて、副官1名とともに陸路ヨーロッパ経由でアメリカに戻ったこと。
※本書では、インド経由としか記述されていないが、香港からどのような経路を辿ったのか、本書の主旨ではないにしろ、この経路は個人的に関心を捨てきれないでいる。
四点目
・香港から江戸に向かう途上、琉球に都合五度も立ち寄っていること、滞在中の琉球王宮との交渉事が、ある意味江戸の幕府と同程度の詳細さで記述されていること。
※燃料(石炭)、食料、水の補給という理由以外の、当時からの琉球の「地政学的戦略拠点」としての重要性が認識されていたのではないか、と感じた。
五点目
・司馬遼太郎のいくつかの小説のなかに登場する吉田松陰、金子重之助の密航計画について、本書でもかなり詳細に記述されていたこと。日本側から見れば、明治維新の思想的な背景を作った吉田松陰の個人名までは当然のことながら記載されてはいないが、こんな記述に出会った。
ーこの日本人(吉田松陰、金子重之助)の性向を見れば、この興味深い国の前途はなんと可能性を秘めていることか、そして付言すれば、なんと有望であることか!
その数日後、士官の一行が郊外を散策しているとき、たまたま町の牢獄にさしかかり、
あの不幸な日本人が、閂を掛けられた、ひどく狭苦しい一種の檻のなかに、監禁されているのが見えた。.......彼らは自分の不運を偉大な平静さで耐え忍んでいるようで、アメリカ士官の訪問を非常に喜んで、その目を引こうとしているのが明らかに見て取れた。
最初に述べたペリー本人の直筆ではないという、物足りなさは残ったが、やはり日本人として読んでおくべき歴史本であることに違いはない。
ちなみに「駅伝」の嚆矢と思える記述を紹介したい。
ー古代メキシコ人やペルー人と同じように、配達は人の足で行われるが、なかなか迅速である。郵便夫は二人一組になり、なにか事故の起こったときにもう一人が代わりを務められるようになっている。郵便夫は全速力で走り、自分たちの受け持ち区間のはずれまで
来ると、次の郵便夫が待ち構えており、近寄るやいなや郵便物を投げ出し、受け取った者は、走ってきた同僚が足を止める前に走り出すのである。