ここ何年か、仕事の合間合間を見て山本周五郎を読んでいる。司馬遼太郎、藤沢周平を読み尽くし、次に没頭したい作家をさがした結果が山本周五郎だったのである。前提としては多作である。自分の人生観に合うかどうかは読んでみないと分からない。とにかく多作であることが必要条件なのだ。ただ時代物の作家には大家、若手を含めて多作、駄作を書き散らしている作家はあんがい多い。最初の一冊の数行読み始めただけで諦めてしまった作家も多し、一冊だけ読んでつぎに進まなかった作家も数知れず・・。
山本周五郎のこの「日本婦道記」の抄本「小説日本婦道記」を手に取ったのは、藤沢周平がどこかに感想を書いていたのがきっかけではなかったか。この掌編小説集の最初の作品『松の花』を読み終えたとき(掌編であるのでゆっくり読んでも小一時間もあれば読み終えることができる)、大げさかも知れないが日本人として魂を揺さぶられるような気分になったのである。武家の女性の生き方を通して、こうあるべきという強靭な倫理観が刷り込まれている。それが押しつけがましく感じないのは、しかもどこか妙に懐かしささえ感じるのは自分の祖母の記憶と重なったからかも知れない。
抄本「小説日本婦道記」を読んだのは三年ほど前、そしていま「日本婦道記(全)」を読んでいる。半分くらいまで来た。どの一編として愚作はない掌玉集である。ぜひお薦めしたい作品である。
メモ(ウィキペディア等から引用)
・小説日本婦道記(抄本)
『松の花』をはじめ『梅咲きぬ』『尾花川』など11編を収める連作短編集。厳しい武家の定めの中で、夫のため、子のために生き抜いた日本の妻や母の、清々しいまでの強靱さと、凜然たる美しさ、哀しさがあふれる感動的な作品である。
・『日本婦道記』(1942-1946)で直木賞に推されるがこれを辞退、 生涯で一個の賞も受けることはなかった。
・『婦人倶楽部』に各藩の女性を扱う「日本婦道記」(6月から12月までの7回掲載)が企画された。周五郎は3回(「松の花」*「梅咲きぬ」*「箭竹」、全くの創作で架空の女性を描いている)担当し、後の4回(すべて実在の人物で世にほどほどに知られている人物)は他の作家が担当した。『主婦之友』の「日本名婦伝」(吉川英治)に倣っている[15]。
・1943年(昭和18年)40歳
山本周五郎のこの「日本婦道記」の抄本「小説日本婦道記」を手に取ったのは、藤沢周平がどこかに感想を書いていたのがきっかけではなかったか。この掌編小説集の最初の作品『松の花』を読み終えたとき(掌編であるのでゆっくり読んでも小一時間もあれば読み終えることができる)、大げさかも知れないが日本人として魂を揺さぶられるような気分になったのである。武家の女性の生き方を通して、こうあるべきという強靭な倫理観が刷り込まれている。それが押しつけがましく感じないのは、しかもどこか妙に懐かしささえ感じるのは自分の祖母の記憶と重なったからかも知れない。
抄本「小説日本婦道記」を読んだのは三年ほど前、そしていま「日本婦道記(全)」を読んでいる。半分くらいまで来た。どの一編として愚作はない掌玉集である。ぜひお薦めしたい作品である。
メモ(ウィキペディア等から引用)
・小説日本婦道記(抄本)
『松の花』をはじめ『梅咲きぬ』『尾花川』など11編を収める連作短編集。厳しい武家の定めの中で、夫のため、子のために生き抜いた日本の妻や母の、清々しいまでの強靱さと、凜然たる美しさ、哀しさがあふれる感動的な作品である。
・『日本婦道記』(1942-1946)で直木賞に推されるがこれを辞退、 生涯で一個の賞も受けることはなかった。
・『婦人倶楽部』に各藩の女性を扱う「日本婦道記」(6月から12月までの7回掲載)が企画された。周五郎は3回(「松の花」*「梅咲きぬ」*「箭竹」、全くの創作で架空の女性を描いている)担当し、後の4回(すべて実在の人物で世にほどほどに知られている人物)は他の作家が担当した。『主婦之友』の「日本名婦伝」(吉川英治)に倣っている[15]。
・1943年(昭和18年)40歳