きょう久々にアマゾンで「西村賢太」と検索を入れると、来年1月12日に新刊「芝公園六角堂跡」の予約告知が出ていたので、さっそく予約を入れる。
じつは小説系の書籍を新刊で買うのは西村賢太だけでなのである。少なくとも私が生きている間は、この作家には生き残って欲しいという思いがあるからで、僅少とは言え、少しでも印税収入に貢献するつもりで新刊を買い続けているのである。
西村賢太は直木賞受賞会見で「これから風俗に行こうとしていた」発言がマスコミにも多く取り上げられたことが、この作家を知った嚆矢濫觴となった。受賞作「苦役列車」が映画化されたこともあり、手にとって見ようと決めたのだが、ここからは私のルーティンに従うことにした。
つまり興味を持った作家は、エッセイ・随筆の類から入るのである。で、手に入れたのが「一私小説書きの日乗」。これがハマってしまった。自分の物書き生活を日々断片メモ書き程度の文章で書き綴っただけのもの、であるはずなのに、夕方仕事を終えて、コーヒーでも飲みながら読むと、緊張した脳神経が解きほぐされてゆくような解放感を覚えるのだ。
このシリーズ、刊行ごとに何かが進展するわけではなく、「五流作家」を自称する一私小説書きの西村賢太の厭きるほど同じように繰り返される「日乗」が描かれる。イジられ役の新潮社田畑氏、天敵の同じく新潮社の矢野氏という現役の本物編集者はこのシリーズには欠かせない役者達だ。編集者たちとの打ち合わせ終了後の会食場所鶯谷の「信濃路」、早稲田鶴巻町の「砂場」、朝方原稿執筆後のジャンクフードをあてにした宝焼酎「純」も舞台装置として重要な役割を果たし、自らが師と仰ぐ藤澤清造の造語「買淫」行動後のレビュー「きょうは大当たり」「きょうはハズレ」などにもお相手のイメージをつい夢想してしまう。西村賢太の作家の日乗はこれらのルーティンの繰り返しだ。
これはあくまでも私の裡だけの話だが、このシリーズはチェホフの「サハリン島」に比類しているのである。この作品は、当時のロシア帝国の流刑地「サハリン島」調査にのためにシベリアを横断し、海を渡ってサハリン島に渡り、サハリン内の流刑人を預かっていた各村を巡り、ただただ淡々と人口動態調査を行い、記録した旅行記なのだが、テーマも内容もまったく違うこの二人の作家と二つの作品は、私の裡に同じリズムを刻むのだ。
じつは小説系の書籍を新刊で買うのは西村賢太だけでなのである。少なくとも私が生きている間は、この作家には生き残って欲しいという思いがあるからで、僅少とは言え、少しでも印税収入に貢献するつもりで新刊を買い続けているのである。
西村賢太は直木賞受賞会見で「これから風俗に行こうとしていた」発言がマスコミにも多く取り上げられたことが、この作家を知った嚆矢濫觴となった。受賞作「苦役列車」が映画化されたこともあり、手にとって見ようと決めたのだが、ここからは私のルーティンに従うことにした。
つまり興味を持った作家は、エッセイ・随筆の類から入るのである。で、手に入れたのが「一私小説書きの日乗」。これがハマってしまった。自分の物書き生活を日々断片メモ書き程度の文章で書き綴っただけのもの、であるはずなのに、夕方仕事を終えて、コーヒーでも飲みながら読むと、緊張した脳神経が解きほぐされてゆくような解放感を覚えるのだ。
このシリーズ、刊行ごとに何かが進展するわけではなく、「五流作家」を自称する一私小説書きの西村賢太の厭きるほど同じように繰り返される「日乗」が描かれる。イジられ役の新潮社田畑氏、天敵の同じく新潮社の矢野氏という現役の本物編集者はこのシリーズには欠かせない役者達だ。編集者たちとの打ち合わせ終了後の会食場所鶯谷の「信濃路」、早稲田鶴巻町の「砂場」、朝方原稿執筆後のジャンクフードをあてにした宝焼酎「純」も舞台装置として重要な役割を果たし、自らが師と仰ぐ藤澤清造の造語「買淫」行動後のレビュー「きょうは大当たり」「きょうはハズレ」などにもお相手のイメージをつい夢想してしまう。西村賢太の作家の日乗はこれらのルーティンの繰り返しだ。
これはあくまでも私の裡だけの話だが、このシリーズはチェホフの「サハリン島」に比類しているのである。この作品は、当時のロシア帝国の流刑地「サハリン島」調査にのためにシベリアを横断し、海を渡ってサハリン島に渡り、サハリン内の流刑人を預かっていた各村を巡り、ただただ淡々と人口動態調査を行い、記録した旅行記なのだが、テーマも内容もまったく違うこの二人の作家と二つの作品は、私の裡に同じリズムを刻むのだ。
※:備忘録:一私小説書きシリーズは次の通りです(まだ他にあったかな?)
「一私小説書きの日乗」「一私小説書きの日乗〜野性の章」「一私小説書きの独語」「一私小説書きの日乗〜遥道の章」「一私小説書きの日乗〜憤怒の章」