2017年4月2日日曜日

報復回路 デイヴィッド・イグネイシアス

本書の著者は、アマゾンプライムの「ワールド・オブ・ライズ」(同著者の原作)という映画を見てのことだった。著者は、ハーヴァード卒業後、WSJの中東特派員として三年間ベイルートに滞在した際の経験と知識をもとに、アメリカ、ヨーロッパ、中東諸国(イラク、イラン、サウジアラビア)を舞台にしたインテリジェンスものを多く手掛けている。

一気に読ませるストーリーの展開は、マイケル・クライトン(ジュラシックパーク等)やダン・ブラウン(インフェルノ、ダ・ヴィンチ・コード等)などのアメリカの人気作家に共通するものだ。ただ、作品の大前提として(執筆前の企画の段階データ、映画化を前提にしてストーリーが展開するという、ある意味「パターン化」というか「ルーティン化」を強く感じてしまう。否定的に申し上げているのではなく、小説を読んでいる時点で確かな映像が脳裏に浮かぶということ、展開のスピード感など、これらは私にとってはありがたいことだ。しかし小説の終章が近づくにつれ、「このままじゃ終わらんだろう。もう一捻りあるだろう」というアメリカアクション映画ファンとしての予感がものの見事に的中してしまうという、読者を裏切らない「飽き足りなさ」が残るのも確かだ。この辺の贅沢過ぎる(?)欲求はジャック・ヒギンズやケンフォレスト、古くはグレアム・グリーンなどのイギリス作家とは趣が異なるような気がする。

ただ前段で書いた、この作家の中東での経験と知識がいかんなく発揮されている作品であることに間違いはなく、裏表紙の「元CIA長官絶賛の戦慄すべき傑作」と謳っているのも頷けるのだ。


2017年3月29日水曜日

ペリー提督 日本遠征記(上)(下)

本書は、かなり以前から読みたい本として頭のなかにあった。そして先月、満を持して、意を決して購入した。(※「日本の古本屋」を介して、札幌の古本屋さんから送ってもらった。)

中学、高校時代に薄く学んだ「ペリーの来航」について自分自身の早とちりが何点もあったことがわかった。
ーまず本書の編纂についての誤解があった。
・本書は、最終的にアメリカの海軍省に提出された報告書(公文書)であるため、ペリー直筆の私信ではなく、二度の来航艦隊に参加した何人もの日記、記録類もまとめて、F.L.ホークスと言う人がまとめ上げたものであること。

※その意味で、明治維新についてこの種の外国人の視点で書かれたものの中で、私自身が最高峰と位置づける「一外交官の見た明治維新」(アーネスト・サトウ)とは内容的に比べるレベルには達していない、と感じた。本書編纂の目的が公文書として国家に奉納するというところにあったのなら、致し方ないのかも知れないが、後世の歴史好きが読むには一抹の物足らなさが残るのもたしかである。

二点目
・一度目の来航があって、二度目の来航までの数ヶ月間、アメリカに帰って出直したのかと思ったが、じつはマカオに居を構え、当時勃発していた「太平天国の乱」のアメリカ権益保護のために睨みを効かせていたこと。

三点目
・二度目の来航で「日米通商修好条約(神奈川条約)」締結まで漕ぎ着け、来航の主目的を果たしたことで、疲労困憊の極に達し、帰途香港で提督の地位を下りて、副官1名とともに陸路ヨーロッパ経由でアメリカに戻ったこと。

※本書では、インド経由としか記述されていないが、香港からどのような経路を辿ったのか、本書の主旨ではないにしろ、この経路は個人的に関心を捨てきれないでいる。

四点目
・香港から江戸に向かう途上、琉球に都合五度も立ち寄っていること、滞在中の琉球王宮との交渉事が、ある意味江戸の幕府と同程度の詳細さで記述されていること。

※燃料(石炭)、食料、水の補給という理由以外の、当時からの琉球の「地政学的戦略拠点」としての重要性が認識されていたのではないか、と感じた。

五点目
・司馬遼太郎のいくつかの小説のなかに登場する吉田松陰、金子重之助の密航計画について、本書でもかなり詳細に記述されていたこと。日本側から見れば、明治維新の思想的な背景を作った吉田松陰の個人名までは当然のことながら記載されてはいないが、こんな記述に出会った。

この日本人(吉田松陰、金子重之助)の性向を見れば、この興味深い国の前途はなんと可能性を秘めていることか、そして付言すれば、なんと有望であることか!

その数日後、士官の一行が郊外を散策しているとき、たまたま町の牢獄にさしかかり、
あの不幸な日本人が、閂を掛けられた、ひどく狭苦しい一種の檻のなかに、監禁されているのが見えた。.......彼らは自分の不運を偉大な平静さで耐え忍んでいるようで、アメリカ士官の訪問を非常に喜んで、その目を引こうとしているのが明らかに見て取れた。

 
 最初に述べたペリー本人の直筆ではないという、物足りなさは残ったが、やはり日本人として読んでおくべき歴史本であることに違いはない。

ちなみに「駅伝」の嚆矢と思える記述を紹介したい。
ー古代メキシコ人やペルー人と同じように、配達は人の足で行われるが、なかなか迅速である。郵便夫は二人一組になり、なにか事故の起こったときにもう一人が代わりを務められるようになっている。郵便夫は全速力で走り、自分たちの受け持ち区間のはずれまで
来ると、次の郵便夫が待ち構えており、近寄るやいなや郵便物を投げ出し、受け取った者は、走ってきた同僚が足を止める前に走り出すのである。

2017年2月13日月曜日

ノーム・チョムスキー 「メディア・コントロール」-正義なき民主主義と国際社会

 ノーム・チョムスキーは「知の逆転」(NHK出版新書)でその存在を知った言語学の泰斗、「巨魁」である。その業績をウィキペディアから一部引用すると

1992年のA&HCIによると、1980年から1992年にかけてチョムスキーは、存命中の学者としては最も多く、全体でも8番目に多い頻度で引用された。彼は人文社会科学諸分野における「巨魁」と表現され、2005年には投票で「世界最高の論客」 (world's top public intellectual) に選ばれた
チョムスキーは「現代言語学の父」と評され、また分析哲学の第一人者と見なされる。彼は、コンピュータサイエンス数学心理学の分野などにも影響を与えた。

 そして反体制派知識人的な範疇で括られてもいる。むしろこちらの方で世界に名を馳せていると言っても外れてはいないだろう。本書は現代政治で果たしてきたメディアの役割を断罪し、事実をもとに現代社会の政治構造を理解することを、たいへん解りやすく、アイロニカルな論調で(この辺がアメリカ人っぽいところ)記述されている。

 本書を読んでいるかたわらで、折しも安倍トランプ会談が、ワシントンとフロリダで行われているが、トランプが既存メジャー・メディアに信を置かず、もっぱらツイッターを多用しているのも、表面的には大統領選挙戦を通じてのメジャー・メディアへの”意趣返し”と捉えられなくもないが、もっと深読みをすれば、チョムスキーが言わんとしている論点を本能的に理解していた、と言うと褒めすぎか。

 日本の主要メディアにおいても、本書の論点は充分当てはまる。いかに「中立・中正」を標榜しようが、本質的にはチョムスキーが理想とする「公正なジャーナリズム」とは言い難いのではないか。

2017年1月26日木曜日

西村賢太「芝公園六角堂裏」の発売延期

 去年の11月初旬であったか、アマゾンでの購入予約のボタンが稼働しはじめた。文芸書では新刊はまずほとんど購入しない私が、唯一人その慣例をあてはめていない作家である西村賢太の久方ぶりの新作であるるので、躊躇なくそのボタンを押して手続きした。

 年が明け、数日経ってアマゾンからの発売延期を知らせるメールが届いた。その後のアマゾンの発売日の表示は2月28日となっている。約一ヶ月の順延である。その理由をネット上でさぐってみたが、同じように購入予約したユーザーの驚きの声がほとんどで、ある意味当然のことながら、なかなか見つからない。唯一「出版社と著者のあいだで、権利関係で揉め事か?」的な一文を見つけた。西村賢太ならあり得るか、とも感じたが、真実は
「一私小説書きの日乗」の新作を待つしかないんだろうが、何だかな、、。

 アマゾンのメールは予約キャンセルもできることが書かれていたが、そのまま予約を継続する(当然のことながら)。多くの西村賢太ファンは同じように待ち続けるだろう。まさか発売中止にはならんだろうね(この作家ならあり得るという危惧もまったくないわけではないので)







2016年12月17日土曜日

暗幕のゲルニカ 原田マハ

 私は当時パリで仕事をしていて、一日だけの休日を、つまり日帰りでパリ、バルセロナ往復を企てた。当時インターネットなどもなく、パリ市内のどこを彷徨いたのかは記憶に定かではないが、どこかの通りに面した小さな旅行代理店のドアを開け、オルリ空港とバルセロナ・エルプラット国際空港間の往復チケットを購入した。
 当日まだ夜明け前の真っ暗な時間にホテルのフロントでタクシーを呼んでもらい、オルリに向かった。空港ビルから飛行機まではトレーラー式のバスだったことは、このことは数十年経ったいまでも鮮明に覚えている。

 パリからバルセロナまでは二時間ちょっとだ。(東京、沖縄間くらいか?)地中海沿岸を舐めるようにして高度を下げ、空港に着いた。空港を出てタクシー乗り場に向かう。ここの部分は記憶がおぼろ状態なのだが、運転手と一日貸切りの交渉をした。スペイン語も、フランス語もしゃべらないので、英語での交渉だったのだろう。

 そして交渉妥結、まずは、この弾丸旅行の一番の目的であるピカソ国立美術館を目指した。じつを言うと、この年の何年か前にニューヨークのMoMA(近代美術館)で「ゲルニカ」を見ていた。観ている者を圧倒するその迫力に、まさに息を呑む思いで立ち竦んでしまったのだ。この場面は数十年経ったいまでも記憶が鮮明だ。
 そのときの強靭な記憶が、もう一度「ゲルニカ」を観たいという気持ちを燃やし続け、ずっと私の裡に燻りつづける源となっていたのだ。この間に、「ゲルニカ」はアメリカMoMAからスペイン・バルセロナの国立ピカソ美術館に返還された(年譜を見ると1981年のことだったようだ)。よしバルセロナに「ゲルニカ」を見に行こう、それがパリからやって来た理由というわけだ。

 そしてピカソ美術館に着いた。が何と「本日休館」の表示が立てかけてあるではないか。ピカソ美術館は月曜日が定休日であることを美術館の玄関の前ではじめて知ったのであった。延泊するだけの時間的余裕もなく、やむなく諦めるよりほかにすべはなかった。そうして、その日の予定はすべてガウディの建築群巡りに充てることになってしまったのである。という経緯が、この「暗幕のゲルニカ」を読み始める直前までの私の理解であり、記憶であった。

 そしてこの本ではじめて「ゲルニカ」が返還されたのは、バルセロナのピカソ国立美術館ではなく、何とマドリードのプラド美術館、そして1992年にソフィア・レイナ芸術センターに移管されたことを知る(バルセロナ五輪開催の年だ)。これはある意味、大きな衝撃だった。
 「ゲルニカ」がピカソ美術館に返還されたという、当時私が掴んだ情報がどこから齎されたものか、今となっては知るべくもないが、しつこいが、これはほんとうに衝撃だった。

 「暗幕のゲルニカ」は2016年下期の直木賞候補作品にノミネートされたが、受賞は逃した。私にとっては充分読みのめるだけの力を持った作品であったが残念なことではある。






※1962年のピカソ、どこかブルース・ウィリス風じゃないか?

2016年12月2日金曜日

「知の逆転」インタビュアー吉成真由美の価値

 実はこの「知の逆転」、二年ほど前に一度読了しているのだが、このときに受けた興奮がその後ずっと記憶の奥底で沸々と沸き続けていた。読み終わった本自体は地下のトランクルーム内の書棚に並べてあるのだが、数日前にアマゾンで何気にこの本を検索してみたら、表紙のデザインが新装されているではないか。しかもプライム枠(当日配送枠)それだけの理由で、私としてはめずらしく新刊注文してしまったのである。
 何度も言うようであるが、同じ本が地下に眠っているのに、、。
注文当日の夜届いた本を開封すると、本の帯に「20万部突破」のゴシックの大きなコピーが堂々と謳われている。この種のジャンルで20万部というのは異例ではないのだろうか。本の世界でもやはり「本物」は評価され、買われるものだと改めて思う。

 現代世界最高の叡智6人、「銃・病原菌・鉄」の著者で進化生物学者のジャレド・ダイアモンド、言語学者ノーム・チョムスキー、神経科医オリバー・サックス、「人工知能の父」マービン・ミンスキー、数学者であり企業家トム・レイトン、DNA分子構造の共同発見者で分子生物学者ジェームズ・ワトソン。
 この6人にサイエンスジャーナリスト吉成真由美がインタビューし、纏められている。
今回私は、インタビューの聴き手であり、編集も主導したと思われるこの吉成真由美に注目したい。この本が売れたのは、それぞれの叡智が紡ぎ出す言葉の重み、新鮮な驚きということもあるがあ、吉成が果たした役割もかなり大きいのではないかと思っているのだ。

 この場での不適切をあえて言うならば、例えばテレビのバラエティー、芸人たちの機関銃を撃ちまくるようなやり取り、ライブではその魅力が半減してしまうということをご存知だろうか。つまり「編集」という番組作りての技が加わってこその番組成立なのである。特に最近視聴率が好調な日テレ系のバラエティー番組についてはとくのそう感じている。

 本書においては、このインタビュアー吉成真由美こそ、隠れた主役であり、ディレクターだ。今日現在ウィキペディアにも彼女の解説ページは見られないので、プロフィールは限られたものしか分からないが、ハーバード大学大学院心理学部脳科学を専攻した元NHKディレクターで、ノーベル医学生理学賞受賞者利根川進とインタビューで知り合い、その後結婚したという。ある意味、利根川進も惚れ込むほどの魅力と知性を持った女性なのだろう。

<備忘録>二年前の読書メモ

★「成長の限界」に達しつつあるかという点については、まさにその通りで、すでに成長の限界に達していると言わざるを得ません。世界の森林の伐採の限界、世界の漁場は開発され尽くした。あと20~30年もすれば、さらに30億人もの人間が大量消費するようになって、資源の枯渇に拍車がかかる。(ジャレド・ダイアモンド)

★ 日本は残念ながら世界漁場における過剰捕獲国の一つであり、世界の漁場安定化にためにリーダーシップを発揮すべき立場であるのに、まだそうしていない。これが現代日本の矛盾点です。(ジャレド・ダイアモンド)

★ アメリカ最大の民間輸出品目は、民間航空機でしょうが、民間航空機とは、要するに改良を加えた爆撃機のことですね。唯一市場原理だけで動いているのが金融部門です。だから何度も破綻する。世界を括目させたアメリカの大量生産システムも、政府の防衛部門によって開発された。(ノーム・チョムスキー)

★ 科学の歴史を振り返ってみると、叡智というものは、アイザック・ニュートン、ジョン・フォン・ノイマン、アラン・チューリング、アインシュタイン、などの「個人知能」によってもたらされているのがわかります。わずか100人の個人が、知的革命によって西欧の科学と言うものを形作ってきたわけで、大衆の「集合知能」のほうは、逆に科学を何百年も停滞させてきたのです。(マービン・ミンスキー)

★ 問題は研究者がロボットに人間のまねをさせることに血道をあげているということ、つまり単に「それらしく見える」だけの表面的な真似をさせることに夢中になっているというところにあります。なぜ福島原発にロボットを送りこんで作業させられなかったか、30年前の進歩はほとんど止まっている。(マービン・ミンスキー)
⇒※パラパラをロボットに踊らせる日本人開発者?(※個人注釈です)

★「生命とはDNAに保存された情報である」(ジェームズ・ワトソン)

さて二回目、読み始めようか、、、。

2016年11月24日木曜日

『一私小説書きの日乗』シリーズ、西村賢太という作家

 きょう久々にアマゾンで「西村賢太」と検索を入れると、来年1月12日に新刊「芝公園六角堂跡」の予約告知が出ていたので、さっそく予約を入れる。
 じつは小説系の書籍を新刊で買うのは西村賢太だけでなのである。少なくとも私が生きている間は、この作家には生き残って欲しいという思いがあるからで、僅少とは言え、少しでも印税収入に貢献するつもりで新刊を買い続けているのである。

 西村賢太は直木賞受賞会見で「これから風俗に行こうとしていた」発言がマスコミにも多く取り上げられたことが、この作家を知った嚆矢濫觴となった。受賞作「苦役列車」が映画化されたこともあり、手にとって見ようと決めたのだが、ここからは私のルーティンに従うことにした。
 つまり興味を持った作家は、エッセイ・随筆の類から入るのである。で、手に入れたのが「一私小説書きの日乗」。これがハマってしまった。自分の物書き生活を日々断片メモ書き程度の文章で書き綴っただけのもの、であるはずなのに、夕方仕事を終えて、コーヒーでも飲みながら読むと、緊張した脳神経が解きほぐされてゆくような解放感を覚えるのだ。
 このシリーズ、刊行ごとに何かが進展するわけではなく、「五流作家」を自称する一私小説書きの西村賢太の厭きるほど同じように繰り返される「日乗」が描かれる。イジられ役の新潮社田畑氏、天敵の同じく新潮社の矢野氏という現役の本物編集者はこのシリーズには欠かせない役者達だ。編集者たちとの打ち合わせ終了後の会食場所鶯谷の「信濃路」、早稲田鶴巻町の「砂場」、朝方原稿執筆後のジャンクフードをあてにした宝焼酎「純」も舞台装置として重要な役割を果たし、自らが師と仰ぐ藤澤清造の造語「買淫」行動後のレビュー「きょうは大当たり」「きょうはハズレ」などにもお相手のイメージをつい夢想してしまう。西村賢太の作家の日乗はこれらのルーティンの繰り返しだ。

 これはあくまでも私の裡だけの話だが、このシリーズはチェホフの「サハリン島」に比類しているのである。この作品は、当時のロシア帝国の流刑地「サハリン島」調査にのためにシベリアを横断し、海を渡ってサハリン島に渡り、サハリン内の流刑人を預かっていた各村を巡り、ただただ淡々と人口動態調査を行い、記録した旅行記なのだが、テーマも内容もまったく違うこの二人の作家と二つの作品は、私の裡に同じリズムを刻むのだ。

※:備忘録:一私小説書きシリーズは次の通りです(まだ他にあったかな?)

「一私小説書きの日乗」「一私小説書きの日乗〜野性の章」「一私小説書きの独語」「一私小説書きの日乗〜遥道の章」「一私小説書きの日乗〜憤怒の章」