2016年10月21日金曜日

食材としての人間の歴史〜「舂磨砦(しょうまさい)」を知る 『西域の虎』

 漢の時代から、飢饉になると、弱者を捕食する集団が現れた。史書では彼らを飢賊、餓賊、飢寇と称している。捕獲したり、仕入れた食用人間は殺されて長距離輸送用の保存食として前線部隊に補給された。「資治通鑑」の「後簗太祖・関平三年(909年)」には宰殺務の職の名が見られる。この職は、食用人間に餌を与え飼育しながら殺して軍用食にあてる任務。保存の方法は、塩漬けの塩戸、天日で乾かす乾戸。その炊事場を舂磨砦(しょうまさい)という。

 人肉の入手経路は、1.貧民や飢民が家族を人肉商人に売り渡す。2. 飢饉や戦乱に乗じて盗賊や軍隊が人々を捕らえて売る。3. 政府の役人や獄卒(監獄の下級役人)が死刑囚を正式、または非正式に民間に払い下げる。

 死刑囚の肉を政府が払い下げていたことは、唐代以前にも記録があるが、本格的に行なわれたのは唐代以降からで、20世紀になっても北京をはじめとする大都市の刑場でよく見られた。中国の死刑執行は、たいてい市街の広場で行なわれ、凌遅(りょうち)の刑という。生きたままの囚人の肉を一切れずつ切り取っていく手法がよく用いられたため。回りを囲む群衆が払い下げられる囚人の肉を待っているのは、斬刑という首斬りよりも食肉としては新鮮なため。

 人肉の価格について

1. 人肉は常に、米やイヌ、豚の価格より安い。唐の時代末期の鳳翔市での市価は、人肉一片(600グラム)が100銭。犬肉が500銭。

2. 男性の肉は女性の肉より安い。1647年の四川での市価は男の肉一片が7銭、女の肉が8銭。これは、女性や子どもの肉が柔らかく、美味しいと言う理由から。

3. 戦乱の時期には高騰。19世紀半ば、江蘇地方で売られていた人肉の価格は一片90文だったのに、太平天国の乱で一片130文に跳ね上がった(曾国藩日記)。

 このように、この著書「西域の虎」の一節に、中国の歴史のなかで食材として人間が供されていたことが淡々と記述されている:あまりに淡々と描かれているがゆえにかなりの衝撃を受けた。

 「空飛ぶモノは飛行機以外、四足は机以外ならすべてを食材とする」と言われている中華料理の闇を引きずるような原点が、この歴史にあると言ったら言い過ぎか。

 川口久雄という著者は、国文学者であり比較文学者でもあり、すでに鬼籍に入られている。この著者との出会いは、岩波の日本古典文学大系「菅家文草 菅家後集」巻に菅原道真の膨大な前文解説文を書いたが、詩人大岡信が何かの記事に、この解説文のことを、菅原道真に関するもっとも詳細な資料として紹介していたことにはじまる。
 「西域の虎」は平安朝比較文学論集で、weblio辞典からその概要を引用すると次の通りとなる。

研究篇 :わが国物語ジャンルについての課題-N.I.コンラドの所説をめぐって 『源氏物語』の世界と外国文学,『源氏物語』における中国伝奇小説の影-『飛燕外伝』『飛燕遺事』『趙后遺事』を中心として,『宇津保物語』に投影した海外文学,平安前期の漢文学,清公の詩・遍昭のうた,『古今和歌集』と漢文学-「年のうちに春はきにけり」という歌について,『かげろふ日記』の書名についてー「かげろふ」の語義とその変遷,『李商隠雑纂』と『清少納言枕草子』について,『枕草子』の文体における俗文学的様式,『本朝文粋』『本朝続文粋』の世界,『本朝神仙伝』の神仙文学の流れ,『古本説話集』の比較文学的考察,平安後期漢文学における新潮流,日本漢文学史の展開。

訪書篇 :アーサー・ウェイリーの生涯を貫く敦煌研究,アーサー・ウェイリーと中国-作家と外国・比較文学的考察,敦煌変文と敦煌画-ブリティッシュ・ミュジィーアムの思い出,西域の虎-敦煌画幻想 トマス・ハーディのくに・ドーセットの旅,チャルドン・チャーチ地獄変壁画,パリの敦煌写本-フランス国民図書館のことなど,エタムプの結婚式,エル・エスコリァル訪書紀行,アェギナの乱礁にてー和辻哲郎著『風土』,白夜のくに・熱砂のくに,孟姜女曲子・諸橋大漢和辞典-敦煌資料の旅ノート,白夜のみやこ・敦煌資料の旅-レニングラード東洋学研究所訪書記。


この著者の著作で、「三訂平安朝日本漢文学史の上中下巻」「敦煌よりの風1〜6巻」はどうしても購入したい書籍なのだが、あまりにも膨大な研究書であることと、いまの私にとっては高価すぎるのだわ。





0 件のコメント:

コメントを投稿