2016年10月23日日曜日

立原正秋と藤沢周平をつなぐ糸

 三十代の前半に立原正秋を読み漁っていた時期がある。角川書店から「立原正秋全集」全二十四巻が配本されていたころだ。配本日になる都度、当時新宿住友ビルの地下商店街にあった紀伊国屋書店に取りに行っていた。(※:余談になるが、全部揃ったこの全集本は後年事情があって、すべて散逸してしまった。)
 「帰路」にはちょっとした思い出がある。その頃パリで仕事があり、飛行機の中と滞在中のパリの安ホテルのベッドで読んだ記憶がある。この作品はヨーロッパに取材した作品で(トレドだったか?)日本文化を継承する日本人の帰路を主人公が考える、というテーマ。読み手として、作品の描く環境に自分を置いてみたい、とのこっ恥ずかしいほど感傷的な思いで、旅のカバンに入れたように記憶している。
 この作品を執筆中すでに食道癌に侵されていた立原は、満足な食事ができなかった状態にあったらしく、美食家立原のそれまでの作品にも増して、食い物の話がこれでもか、これでもかというほど出てくるのが印象深い。

 その後、この作家についてはアマゾンの1円本を買い漁り、主だった作品はすべて読んだ。朝鮮から帰化した立原が日本人以上に、日本の凛とした美、そして強さにこだわった、男女の描写、湘南とくに鎌倉、。とにかくこの作家が好きだった理由がその辺りにあるのは確かだ。
 その尊崇する立原の影響で、わたしは本籍地を鎌倉に定め、いまでも鎌倉に置いている。いま、立原の著作のほとんどが街なかの書店では手にはいらないが、古書はネットやブックオフでいくらでも簡単に手に入る。読み残しの作品がないか、いまでもときどき目を通している(※ウィキで昨日小学館より『立原正秋 電子全集』全26巻が配信中であることを発見した。まだ読者がいることに安堵!)

 藤沢周平を読みはじめたのはそんなに古い話ではない。時代物、歴史物と言えば司馬遼太郎くらいの認識しかなかった浅学の自分が、何を思いたったか、そのきっかけは記憶していないが、「たそがれ清兵衛」の文庫本を読み始めたのである。この文庫本には表題作の他に、「うらなり与右衛門」「ごますり甚内」「ど忘れ万六」「だんまり弥助」「かが泣き半平」「日和見与次郎」「祝い人助八」と言った、いかにも古き良き時代の、山本周五郎を踏襲するか、とでも言いたくなるような、昭和戦前的なタイトルが並んでいたが、とにかく読み始めた。

「たそがれ清兵衛」はその文庫本の突端の作品である。藩主交代を画策する筆頭家老を対立する家老の上意討ち依頼を主人公の井口清兵衛が果たす、という粗筋だが、清兵衛が司馬遼太郎の作品では味わえない武士の造形を成していることに新鮮な驚きを持った。これが自分のツボにみごとにハマってしまったのである。
 けっきょく、この作品が嚆矢となり、藤沢周平についてもいまのところ、ほぼ九割程度読破という状況である。(※ネットで調べたいくつかの「藤沢周平全著作一覧」などを参考に調査)

 そして藤沢周平が業界紙記者から文壇デビューのきっかけとなった作品「冥い海」が1971年(昭和46年)「オール読物新人賞」を受賞したときに、その選考委員の一人だったのが、何と立原正秋であった。(※ほかに南條範夫、遠藤周作、曽野綾子、駒田信二の四氏が選考委員)
 ここで、私が欽慕してやまない二人の作家が一本の糸で結ばれた。
 このことは藤沢周平の何かのエッセイの一節で知った。「立原正秋という偉い先生に選んでいただいて・・」と、藤沢周平は立原正秋の作品についてはどうも読んだことがなかったのではないかと思わせる書き方だったように記憶している。
 しかし一方で、このことによって藤沢周平をもっとも強力に推したのは立原ではないか、とも推量できるのである。もちろん当時の選評まで遡って調べたわけではないが、私はそう思い込むことにしたのである。


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