この本は2007年の発刊時に週刊誌の書評を見て買い求め、表紙を開くこともなく長い間埃まりれになって書棚に並べられていた本である。そして、その後の私の人生の劇変のなかで何度かの転居を経ても、処分を免れ、私の脇で生き伸びてきた本である。
サイードという作者がどのような人物なのかにも興味も持たず、書評を見て購入とは書いたが、その書評をななめに読み、「晩年のスタイル」というタイトルだけに共鳴し、今後の老人の生き方指南書、と勝手に解釈した結果だったと思う。当時、「暴走老人」なる言葉がメディアに踊っていたことにも、自分はそうなるまい、と戒めの書としての期待もあったか。
2015年(つまり去年)初夏、読みはじめた。
私にとっては、グレン・グールドというピアノ演奏家を知ったのが最大の収穫だった。
そもそも本書の原題「ON LATE STYLE」のLATEはLATENESS「時候に遅れた」、時流には乗らない独自性から創造性へ、と解釈するすることで理解できる。グレン・グールドもサイードのそのようなスポットの当て方で紹介された一人である。
グレン・グールドの章を読むのを中断し、アマゾンでグールドのCDをとり急ぎ取り寄せ、「グルドベルグ変奏曲」をはじめとする、10枚ほど適当に選び、これらを聴いた。「グルドベルグ変奏曲」は、他の演奏家に比べ、ピアノの鍵盤を叩く音が、一音一音鋭く建って来るように聴こえた。クラシックにはほとんど縁遠かった、ど素人の私が聴いてもそう聴こた。
そして何よりも驚いたのは、演奏中、何かが憑依したように唸りながら鍵盤を叩いていたことである。グールドを見出したプロデューサーは、この唸りを止めるように何度も説得したようであるが、グールドが止めることはなかったという。
そしてこの唸り声がグールドの演奏のスタイルとなった。ピアノの椅子の高さも脚を自分で切り落とし、満足する高さを確保し、鍵盤に覆いかぶさるようにして演奏した。
この話を読んだときに、棟方志功が版画を掘るときの、版木に覆いかぶさるような鬼気迫る姿勢とどこか重なったのである。
由里幸子さんという方が、「ブックアサヒ・ドットコム」の中で、「グレン・グールド演奏のバッハの音楽は、時代錯誤的であるとともに自己創造性を誇る」という本書の一節を紹介しているが、私もまさにそのように感じた。
またネットでひろった別の方の書評に「創造的反復・創造的追体験」をキーワードにグールドの音楽を考える。J・S・バッハは時代の流れに乗らなかったインヴェンション(バロックのジャンル、ピアノの学習用教材として利用されることが多い)の作曲家であり、グールドはバッハの対位法的な世界を再インヴェンションによって構築しているのではないか。グールドとバッハを繋ぐ奇跡の一線はそのインヴェンションにこそある。と書いていた。
サイードという作者がどのような人物なのかにも興味も持たず、書評を見て購入とは書いたが、その書評をななめに読み、「晩年のスタイル」というタイトルだけに共鳴し、今後の老人の生き方指南書、と勝手に解釈した結果だったと思う。当時、「暴走老人」なる言葉がメディアに踊っていたことにも、自分はそうなるまい、と戒めの書としての期待もあったか。
2015年(つまり去年)初夏、読みはじめた。
私にとっては、グレン・グールドというピアノ演奏家を知ったのが最大の収穫だった。
そもそも本書の原題「ON LATE STYLE」のLATEはLATENESS「時候に遅れた」、時流には乗らない独自性から創造性へ、と解釈するすることで理解できる。グレン・グールドもサイードのそのようなスポットの当て方で紹介された一人である。
グレン・グールドの章を読むのを中断し、アマゾンでグールドのCDをとり急ぎ取り寄せ、「グルドベルグ変奏曲」をはじめとする、10枚ほど適当に選び、これらを聴いた。「グルドベルグ変奏曲」は、他の演奏家に比べ、ピアノの鍵盤を叩く音が、一音一音鋭く建って来るように聴こえた。クラシックにはほとんど縁遠かった、ど素人の私が聴いてもそう聴こた。
そして何よりも驚いたのは、演奏中、何かが憑依したように唸りながら鍵盤を叩いていたことである。グールドを見出したプロデューサーは、この唸りを止めるように何度も説得したようであるが、グールドが止めることはなかったという。
そしてこの唸り声がグールドの演奏のスタイルとなった。ピアノの椅子の高さも脚を自分で切り落とし、満足する高さを確保し、鍵盤に覆いかぶさるようにして演奏した。
この話を読んだときに、棟方志功が版画を掘るときの、版木に覆いかぶさるような鬼気迫る姿勢とどこか重なったのである。
由里幸子さんという方が、「ブックアサヒ・ドットコム」の中で、「グレン・グールド演奏のバッハの音楽は、時代錯誤的であるとともに自己創造性を誇る」という本書の一節を紹介しているが、私もまさにそのように感じた。
またネットでひろった別の方の書評に「創造的反復・創造的追体験」をキーワードにグールドの音楽を考える。J・S・バッハは時代の流れに乗らなかったインヴェンション(バロックのジャンル、ピアノの学習用教材として利用されることが多い)の作曲家であり、グールドはバッハの対位法的な世界を再インヴェンションによって構築しているのではないか。グールドとバッハを繋ぐ奇跡の一線はそのインヴェンションにこそある。と書いていた。
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